若いときの決断は間違っていた?
かつて行った決断について、少なくとも自分の場合は間違いだったかもと思うようになりました。
若者の決断が全て間違っているわけではないと思います。
なかには正しい決断をする若者もいます。
自分の場合は、少なくともベターではなかった……かもしれない……ということです。
それは、自分の現在の境遇と、かつて若いときに進まなかった道の先にあったをものを比べてみて、という意味です。
歩まなかった道については、先がどうなっているのかは分かりませんから、実際のところは間違っていたのか、正しかったのかは分かりません。
けれど、想像はできます。
その想像において、あっちの道のほうが経済的にも社会的にも良かった(かもしれない)、と思っています。
ひとつ確実なのは、若者は経験が少ないから、決断をしなければならないとき、適切な判断をできない可能性が高いです。
道を間違ってしまう恐れがあります。
それに、40歳を越えた今になって振り返ると、かつては、進むことのできる沢山の方向があったはずなのに、それが見えていませんでした。
やはりそれは経験不足からくる視野狭窄だったと思います。
母数の数は重要
映画やドラマ、音楽でもなんでもいいですが、その作品に触れたとする。
とても面白かった。
感動した。
または、つまらなかった。
色々な感想を持つはずですが、分母の数が少ないと、その作品のプラスもマイナスも、実はよく分かりません。
一番好きな映画は。
一番好きなマンガは。
一番好きな音楽は。
5つの作品から選べば、5つの作品の世界観の広さしかありません。
しかし、たとえば500作品を知れば、本当に良いものをその中から選ぶことができます。
現実も似ていると思います。
若いときの決断は、5つの作品から最上を選んでいるようなものでした。
底が浅かったです。
世の中は思っているより論理的ではない
この世の中で大事なのは「運」です。
運の善し悪しで全てが決まります。
といっても、才能とか努力とか関係ないから、才能を磨く必要なんてこれっぽっちもないし、努力を積み重ねる必要なんて一切必要ないというつもりはありません。
要は、サイコロを振る数を増やせ、ということ。
才能を磨くのも、努力を積み重ねるのも、サイコロを振るためには必要です。
そのサイコロの目次第で、人生は大きく変わったりもします。
若いときは、世の中は極めてロジカルなものだと考えていました。
全然違いました。
大学生が就活して上手くいかなくて悩む、とか聞くと、あー、それは世の中は論理的ではないからね、と思います。
つまり、就職に有利といわれていることがたくさんありますが、ボランティアだとか、サークル活動だとか特定の業種のアルバイトとかインターンシップとか。
それらをやった。
論理的には、就活が有利になるはず。
もちろん中には早々に内定が出る学生もいるでしょう。
けど、上手くいかない学生もいる。
その人の能力というのもあるだろうけど、やっぱり重要なのは運だよね、と思います。
会社との出会いだって運です。
社会は、案外と適当なものです。
1+1=?
この前、虎ノ門ニュース8時入りという番組(YouTubeで視聴できる)の木曜日版で、青山繁晴さんが「この世の本質はシンプル。1+1は2ではない、ということ」と仰っていました。
前後の文脈としては、経済の話をしてて、経済学者や専門家は簡単な話を難しくして、それを飯の種にしている、と仰っていました。
これって、世の中は論理的ではない、という意味だと思います。
まともに考えれば、1+1は2に決まってる。
けど、本質は実は違う、ということは、答は0だったり3だったり、はたまた100だったりする。
1+1がなんで100になるの? と首を傾げたくなるけど、世の中はそういうものです。
この世界は論理的ではない、ということを仰りたいのなら、まさにその通り。
世の中は、何が起こるか分からない。
予測できる(……実は予測できる部分もあります。)、と思えてしまうのは、実は錯覚に過ぎません。
青山さんの説明が短くて、自分が曲解している可能性はありますが、たぶん大筋では間違っていないはず。